看守の救い

壊れた扉 お知らせ

2023年6月11日(日)礼拝(聖書箇所:使徒16:25〜34)

聖書より:
紀元50年頃、マケドニアのピリピにやってきたパウロとシラスは、占いの霊に取り憑かれていた女奴隷の主人たちに、ありもしない罪を着せられ、投獄されました。
真夜中頃、二人は獄中で神に祈り、賛美を捧げていました。
すると突然、大地震が起こり、牢屋の扉が開き、囚人たちの鎖が外れてしまったのです。

看守は牢屋の扉が全て開いていたため囚人たちが逃げ出したものと思い込み、剣を抜いて自殺しようとしたのです。
それほど責任を感じていたものと思われます。
時としてこの世は、災いをもって私たちを絶望に陥れることがあります。

しかしパウロは「わたしたちはみなここにいる」と叫び、看守の自殺をくいとめます。
囚人たちはパウロとシラスの祈りと賛美を聞き、脱走しなかったのです。
看守は震えながら二人の前にひれ伏し、二人から「主イエスを信じなさい。」と勧められました。
その日のうちに彼と彼の家族全員が神を信じ、バプテスマを受けたのでした。

復活のキリストは、自ら命を絶とうとするほど絶望の淵にあるその人を覚えておられ、私たちの祈りや証を用いられます。
状況が悪くとも積極的な信仰を持ちましょう。

すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。(IIコリント5:19)

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