2022年6月26日(日)礼拝(聖書箇所:使徒9:10-22)
聖書より:
教会に対する偏見と敵意に燃えるサウロは、大祭司から教会員を捕縛する権限を受け、シリアのダマスコに向かっていました。
その迫害者であり敵対者であるサウロを、キリストは天からの光をもって捕らえ、その目を閉ざして福音のためにお召しになりました。
そしてダマスコに行くよう命じたのです。
一方、ダマスコにはアナニアという名の弟子がいました。
主は幻の中でアナニアを呼び、ユダの家に滞在しているサウロのところに行って手を置き、サウロの目が再び開かれるようにすることを命じられました。
しかしアナニアは、サウロによる自分たち仲間へのひどい仕打ちを聞いており、サウロを恐れていました。
私たちも神に従おうとする時、さまざまな思い煩いにその心を妨げられることがあります。
恐れているアナニアに、主はサウロに対するご自身の御心とご計画をお語りになりました。アナニアはその御言葉に力づけられ、サウロを訪ねたのでした。
アナニアの働きを介して聖霊を授かったサウロは、ユダヤ人たちが驚き戸惑うほど、大胆にキリストを語り始めたのでした。
キリストは敵対する者をさえお召しになるほど、私たちの救いと生命に対する主権者であられるのです。
すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。(IIコリント5:19)
コメント