2022年3月13日(日)礼拝(聖書箇所:使徒7:1-8)
聖書より:
教会の奉仕者として召しを受けたステパノは、恵みと力に満ちた人であり、様々な不思議をもってキリストを証ししました。
ところがリベルテンの会堂に属する人たちがステパノに敵対し、彼を捕え、最高法院に引き出してしまいました。
大祭司の尋問を受けたステパノは、旧約聖書からキリストを証しし始めます。
彼らの先祖であり信仰の父でもあるアブラハムは、メソポタミアでの生活があったのに、そこを離れるようにと神様の御言葉を受け、やがてこの地にやってきました。
そしてその妻サラとの間に子どもをまだ授かっていないとき、神様から、多くの子孫が生まれることと、彼らがこの土地を相続するという御言葉を授かりました。
創世記17章によると、それはアブラハムが99歳の時でした。
それでもアブラハムは信じたのでした。
それからおよそ2000年後、御言葉の通りに彼の子孫は増え広がり、その子孫である大祭司や最高法院の議員たちは、その約束の地にあって神に仕えているのです。
ここにアブラハムの信仰と大祭司の信仰に、大きな違いが生じているのを今の私たちは見るのです。
時の経過とおごりが、信仰の輝きを消失させてしまうようです。
アブラハムのように、いつも、神様とその御言葉に柔軟に従う信仰をもつことが大切です。
さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1)
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