枯れ木のイチジク

2021年1月31日(日)礼拝(聖書箇所:マタイ21:18~22)

【重要】
緊急事態宣言の発令に伴い、リモート礼拝を実施しています。
期間は1月10日(日)〜2月7日(日)を予定しています。
教会には集まらず、内島牧師のFacebookよりライブ配信、または録音をご視聴いただく形での礼拝になります。
皆様のご理解、ご協力お願いいたします。
※感染症対策についてはこちら
2月14日(日)以降の礼拝について←追記

聖書より

紀元30年頃、子ろばに乗ってエルサレムに入城されたイエス様は、そこから3キロほど離れたベタニヤ村で宿泊され、再びエルサレムにお戻りになります。
その道すがら空腹を覚えられたので、そこに一本のイチジクの木を見つけ歩み寄られました。
ところがそこには葉があるだけで他には何もありませんでした。
イエス様は「今後、お前の実はならないように」とおっしゃったところ、イチジクの木は枯れてしまったのでした。
そのイチジクの木こそ、信仰が形ばかりで中身のないエルサレムの霊性を象徴しています。

するとその時、弟子たちがどうしてイチジクの木が思いのほか早く枯れてしまったのかを質問するのです。
そこでイエス様は、信じて祈るならこのようなことばかりでなく、山を海に移すことだって出来るのですよとお教えになったのでした。

人はなぜ実のないイチジクのように、形ばかりの空しい信仰に陥ってしまうのか。
それは主権者たる神様への信頼が乏しいから。
祈りは神様への信頼を深めさせ、実りある確かな信仰へと私たちを向かわせます。
いまの私たちこそイエス・キリストの名を通し、確実に神様に届く祈りをもって実を結ぶことが出来るのです。

しかし私は 主よ あなたに叫び求めます。
朝明けに 私の祈りは御前にあります。(詩篇88:13)

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