父親の慰めはキリストにある

父と子 お知らせ

2022年6月19日(日)礼拝(聖書箇所:マルコ10:46-52)

聖書より:

イエス様一行は、エルサレムへと向かう途中、エリコの町に立ち寄られました。
この町でもイエス様は福音宣教の働きをされ、取税人ザアカイが救われました(ルカの福音書19章)。
それから、イエス様一行が町を出ると、バルティマイという目の不自由な物乞いが道端に座っていました。

この「バルティマイ」という名は「ティマイの子」という意味です。
バルティマイにはティマイという父親がいて、その父は我が子に自分の名を残すほど、我が子を愛していたはずです。
ところが、その大切な息子は目が不自由で、そのうえ、町の外で物乞いを余儀なくされていたのです。
聖書には父ティマイの姿は記されていません。
しかし、息子の姿を踏まえれば、父ティマイの心の痛み苦しみがどれほどであったか、容易に想像がつきます。

父なる神様は、そんなティマイの息子のところに、ご自身の一人子キリストをお遣わしになりました。
そして、キリストはティマイの息子を呼び寄せ、彼の言葉と心を受け止め、父ティマイも悩んでいたであろうその目を開いてくださったのでした。
息子は開かれた目でキリストを見つめ、そこから従いついて行き、神とともに生きる新しい人生を歩み出しました。
父親の悩みも、キリストは救いをもって報いてくださるのです。

心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ。恐れるな。見よ。あなたがたの神が、復讐が、神の報いがやって来る。神は来て、あなたがたを救われる。」(イザヤ35:4)

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