罪の損失と沈黙のキリスト

2021年9月5日(日)礼拝(聖書箇所:マタイ27:27-44)

※コロナ対策のため礼拝の体制を変更しています。詳しくはこちら

聖書より:

ピラトがイエス様の釈放を諦め、十字架に引き渡したところ、ローマ兵たちはイエス様に緋色のマントを着せ、茨で編んだ冠をかぶせて棒でたたき「ユダヤ人の王様、万歳」と言ってからかいます。
それから外に出て、出会ったクレネ人シモンにイエス様の十字架を無理やり背負わせ、ゴルゴタの丘に向かいました。
罪というものは、神様がくださった恵みの価値を見えなくさせるもので、それは救い主キリストを、聖書を知らないローマ兵に好き勝手させ、通りすがりの人の手にキリストの十字架を与えてしまうほど、神の恵みを取り損ねる性質をもっているのです。

ローマ兵はイエス様に、苦みを混ぜたブドウ酒を飲ませようとします。
しかしイエス様は、それを舐めただけで飲もうとはなさいませんでした。
イエス様の思いは真っ直ぐに十字架に向かい、罪の贖いを成し遂げることにあったからでしょう。

通りがかりの人々、祭司長や律法学者、さらには共に十字架につけられている受刑者たちからもののしりを受けつつも、イエス様は一言も言い返すことなくご自身をお捧げになったのでした。
罪の愚かさに悩む私たちを、主は哀れみ、愛しておられるのです。

しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。(イザヤ53:10)

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