救いに現れる信仰

2021年9月12日(日)礼拝(聖書箇所:マタイ27:45-61)

※コロナ対策のため礼拝の体制を変更しています。詳しくはこちら

聖書より:

イエス様は十字架上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。
それは詩篇22篇1節のヘブル語によるもので、まさにヘブル人たちに語られていた、詩篇22篇の救いの御業が実現しようとしていたのです。
ところが民たちはそのことに全く気が付かず、「預言者エリヤを呼んでいる」「エリヤが彼を救いに来るかどうか見ていよう」と、まったく的外れな態度を現わすのでした。

しかしイエス様は、民たちの不信仰をそのままに、罪のないご自身をもって罪を贖って下さいました。
その時、神殿の幕が上から真っ二つに裂け、聖徒たちが墓からよみがえり、聖書の御言葉が成就したのでした。
その一連の出来事を目撃した百人隊長が、「この方は本当に神の子であった」と証言するほど、贖いの御業は異邦人にも届くものだったのです。

夕方になってアリマタヤ出身のヨセフという富豪が、ピラトにイエス様の亡骸の下げ渡しを願い出ました。
ルカ福音書によると、彼はイエス様を死刑にするために不当な裁判をした、あの議会に属する議員の一人でした。
彼は自分の損失を顧みず、イエス様のためにできることとして、自分の所有する墓に御体を納めたのです。
同じ信仰を授かる私たちも、自身をもってイエス様の愛に答えることが出来るのです。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。(Iコリント6:20)

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