2021年6月27日(日)礼拝(聖書箇所:マタイ25:31-46)
聖書より:
オリーブ山に移動されたイエス様は、この世の終わりには最後の審判があり、救いに至る人と裁きに下る人の二通りの結末がある事を示されます。
そして、救いに至る確かな信仰とは、どのようなものかをお話しされました。
羊飼いが羊とヤギを分けるように、裁き主たる王は自身の右と左に人々を分けます。
右に集められた者には「わたしが空腹であった時に食べさせ、乾いていた時に飲ませ、裸であった時に着せ、病の時は見舞ってくれた」と言って、彼らを救いのゴールに迎え入れます。
しかし彼らに心当たりがありません。
そこで王は言います。
「これら最も小さい者にしてくれたことは、わたしにしてくれたことです。」
他方、左に集められた者たちは「あなたが空腹で、渇き、裸で、病んでいた時、私たちはあなたのお世話をしました。」と言って自分たちの正しさを主張します。
しかし王は、「お前たちがこの最も小さい者にしなかったのは、わたしにしなかったのだ」といって、彼らに永遠の火に入るよう裁きを下したのでした。
救いに至る信仰とは、罪人である私たち自身の正義正論に立つものではなく、キリストの十字架の御業に現された愛のゆえに、神に対してへりくだるものであり、隣人を愛する行動が現れるものなのです。
「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という第二の戒めも、それと同じように重要です。(マタイ22:39)
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