召しと従順

インド カシミール 礼拝

2024年2月25日(日)礼拝(聖書箇所:使徒22:14〜23:9)

聖書:
紀元57年頃、神の召しに従順だったパウロは、御言葉の通りにエルサレムで捕えられてしまいました。
その時、民衆に証をする機会を得て語ったものの、強い反発をうけ騒動が起きそうになったのです。
そこでローマ軍の千人隊長は、パウロをムチで打って民衆が怒る原因を探ろうとしました。
それに対しパウロは、自分がローマ市民であることを明かしました。
すると、兵士たちは恐れ、パウロをムチで打つことが出来なくなってしまったのです。

すると千人隊長は、今度はパウロをユダヤの最高議会に連れ出し、騒動の原因を探ろうとしたのです。
そのため、パウロはローマ軍のムチから逃れたにも関わらず、今度はユダヤの議会によって石打ちにされてしまう危険に晒されることとなったのです。

繰り返し迫る危険に、パウロは議会がサドカイ派とパリサイ派からなっていることを見抜き、「私は死者の復活の望みのことで裁かれている」と訴えたのです。
これに議会は2つに割れ、ついにパウロは無罪を勝ち取ったのでした。
神の召しと従順な信仰には、試練のなかで脱出の道を見出す希望があるのです。

従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。(Iペテロ1:14〜15)

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