2021年6月13日(日)礼拝(聖書箇所:マタイ25:1-13)
聖書より:
イエス様は弟子たちと共にオリーブ山に移動されました。
そこで今の時代が終わりに向かっていること、そしてこの世の終わりの大きな苦難から救われるために、確かな信仰に立つよう話されました。
そこで、確かな信仰とはどのようなものか、いくつかのたとえ話で教えて下さっています。
一つは、ともしびをもって花婿を出迎え、花嫁のもとに彼を導く10人の娘です。
10人のうち5人は賢く、花婿の到着が遅くなっても出迎えることが出来るよう、ともしびと予備の油を用意しました。
しかし愚かな5人の娘は、予備の油を用意しませんでした。
「花婿を出迎えよ」との知らせにともしびを整えたところ、愚かな娘たちのともしびは消えそうになっていました。
そこで賢い娘たちに油を分けてほしいと願ったのですが、分けるには到底足りません。
そこで愚かな娘たちが油を買いに出かけたところ、その間に花婿が到着し、祝宴の席の戸が閉ざされてしまったのでした。
福音は分け与えることが出来ても、信仰は貸し借りのできるものではありません。
救いのともしびを授かっているならば、賢い娘が花婿のために予備の油を用意したように、私たちもイエス様のために信仰を満たし、それを用いる心と行動が現れるものなのです。
私の兄弟たち、だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか(ヤコブの手紙2:14)
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