罪を知る幸い

復活したイエスの手 お知らせ

2023年7月30日(日)礼拝(聖書箇所:使徒17: 22〜34)

聖書より:
紀元50年頃、ベレアからアテネにやってきたパウロは、会堂だけでなく広場でも福音を語りました。
すると、聞き慣れない話に興味を持った人々は、アレオパゴスと呼ばれる町の評議会にパウロを招いたのでした。

そこでパウロは、町の有力者たちを前に「知られない神に」という祭壇があることに注目し、彼らには様々な形で神を求める、あつい宗教心があることを評価します。
そして彼らの「私たちは神の中に行き、動き、存在している」という文学を引用して、人の手で作った偶像を神として祀り崇めることは間違いではないかと指摘します。
つまり、彼らの罪を指摘したのです。
そこからパウロは、神様が罪の悔い改めを命じておられること、神の義をもって世を治めるため、キリストをよみがえらせたことを解き明かしたのでした。

死者の復活を聞いて、ある人たちは福音を受け入れませんでした。
しかし、罪を悟った人たちだけは信仰に入ったのでした。
罪を悟ることは、真の神様との確かな関係を築くための重要な信仰なのです。

主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(IIペテロ3:9)

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