2023年6月25日(日)礼拝(聖書箇所:使徒16:35〜40)
聖書より:
紀元50年頃、第二次伝道旅行中のパウロとシラスは、ピリピの街に滞在していました。
そこで、占いの霊に憑かれた若い女奴隷に邪魔され続けたため、彼らはやむなく悪霊を追い出しました。
すると、彼女の雇い主たちに訴えられ、投獄されてしまいました。
ところがそれによって、看守とその家族が救いに導かれたのです。
そして翌日、長官たちは警吏に命じて二人を牢から出そうとしました。
しかし、パウロは、ローマ市民である自分たちを、裁判の判決もないままむち打ち、投獄したことを彼らに指摘したのです。
どうやら長官たちは、二人をむち打ち、一晩牢屋に入れておけば住民たちの騒ぎが収まるだろうと考えていたようです。
そのような怠惰な心と軽率な行動は、自分自身に災いを招くことになるものです。
長官たちは二人を牢の外に連れ出し、なだめ、そして街を離れてくれるよう頼んだのでした。
彼らは自分たちの不正をごまかしたことで、看守のようにひれ伏して神の救いを得るチャンスを逃したのです。
怠惰な心を、人は神様にも向けてしまうのです。
主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(IIペテロ3:9)
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