キリストの傍らに立つ

山上の垂訓 礼拝

2024年2月4日(日)礼拝(聖書箇所:使徒21: 31〜40)

聖書:
紀元57年頃、第三次伝道旅行を終えたパウロは、エルサレム戻り、神殿で奉仕をしていたました。
そのとき、アジアから来たユダヤ人たちによって捕らえられ、鞭打たれました。
そこへ、騒ぎを聞きつけたローマ軍の千人隊長が、部下とともに駆けつけ、パウロを鎖に繋いだのです。
こうして聖霊が告げた通り、パウロはエルサレムで鎖に繋がれたのでした。
パウロの置かれた状況は悪いものですが、しかし、御言葉が実現するほどに、神様に知られていることに希望があります。

一方、千人隊長は騒動の原因が分からないため、パウロを兵営に連行することにしました。
すると、群衆が迫って来るため、兵士たちはパウロを担ぎ上げなければなりませんでした。
この危機的状況の中、パウロは千人隊長に語りかける機会を得たのです。
希望の矢は必ず放つ時が来ます。
そこで千人隊長はパウロがローマ市民であることを知り、彼を保護しなければならなくなったのです。
そのうえでパウロは階段の上、群衆からよく見え、よく聞こえる位置から御言葉を語ることが出来たのです。
かつてキリストもそのようにお語りになっていました。
階段の上であってもパウロの心と魂は、キリストの傍らに立っていたのです。

私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。(IIコリント4:8)

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