希望の矢を備えよ

希望 礼拝

2024年1月28日(日)礼拝(聖書箇所:使徒21: 17〜30)

聖書:
紀元57年頃、第三次伝道旅行を終えたパウロはエルサレム戻り、ヤコブをはじめとする教会の長老たちに宣教報告をしました。
すると長老たちは、ユダヤ人たちが、パウロは律法に逆らうことを教えていると誤解していることが分かり、対策を講じたのです。
それは、誓願する4人のユダヤ人を伴って神殿に入り、彼らを支援すること。
そうすれば、パウロが律法に逆らう人ではないことを証できます。

ところがアジアから来たユダヤ人たちが、パウロが異邦人を神殿に連れ込んでいると訴えて人々を扇動したのです。
それは、パウロがエペソ人のトロフィモを神殿に連れ込んだと誤解したからでした。
実に不完全な罪人が抱く独善的な罪の心は、効果的と思われる対策をも打ち壊すのです。

こうしてパウロの身に、カイサリアで預言者アガボが告げた、神の御言葉が実現したのでした。
実に残念な結果に至ったのですが、しかし、パウロには希望があります。
それは、神様が御言葉をもってこの困難をお告げになっていたほど、神様がこのことを既に分かっておられるからです。
ここから先は、神様のご計画と導きが待っています。
私たちも、困難の中にも希望があることを覚えておきましょう。

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:6)

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