2022年4月17日(日)礼拝(聖書箇所:ヨハネ20:11-18)
聖書より:
大祭司や最高法院の議員たちの妬みによって十字架につけられたイエス様は、その日のうちに埋葬されました。
それから三日目の日曜の朝、マグダラのマリアが墓を訪れたところ、墓の入り口が開いており、そこにあるはずのイエス様の亡骸が無くなっていることに気が付きます。
失望し、泣いているマリアに御使いが現れ、「なぜ泣いているのですか」と尋ねます。
イエス様がよみがえったことを知らないマリアは「だれかが私の主を取って行きました。」と答えました。
イエス様は、イエス様に妬みを抱いた人間たちの悪意によって十字架につけられました。
マリアはイエス様の亡骸が無くなったことも人々の悪意によることだと疑ってしまったのです。
そんなマリアにイエス様は「マリア」と声をかけ、復活されたご自身を現して下さったのでした。
キリストの十字架の死と復活は、私達の全ての罪を贖い、救いと新しい人生を与えるだけでなく、人の悪意と人を信用できない空しい心に、慰めと希望をもたらすのです。
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。
あなたがたのところに戻って来ます。(ヨハネ14:18)
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