神の計画と良い行い

パウロの執筆 礼拝

2025年3月2日(日)礼拝(聖書箇所:エペソ2:1〜10)

聖書から:
紀元61年頃、諸教会に異端問題が生じたことから、ローマで獄中だった使徒パウロを通して御言葉が語られました。
その一つが新約聖書エペソ人への手紙です。
その2章では、イエス・キリストの救いを受ける以前の私たちのことが書かれています。
以前の私たちは、神様ではなく不従順をもたらす霊に従い、自らの罪によって死んでいる絶望的な人生をさまよっていました。

しかし哀れみ深い神様は、イエス・キリストの十字架の御業をもって、私たちのすべての罪を贖い、天の御国に至るものとしてくださいました。
これは、私たちが望んだことではなく、また、私たちの行いの結果でもありません。
神様の、罪人たる私たちへの一方的な哀れみによることでした。

そしてさらに神様は、救いに召した者たちを神の作品として新しくし、天国の希望だけでなく、救われたが故に表すべき良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

私たちこそ救いを受けたとはいえ、元より不完全な罪人です。
しかし、そんな私たちであっても、イエス・キリストによって罪を赦され、救いに召されたならば、神様の御心にかなった良い行いを表すことができるのです。

私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。(ヤコブ2:14)

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