罪を知る重要性

教会 礼拝

2024年6月9日(日)礼拝(聖書箇所:使徒26:19〜32)

聖書から:
紀元59年頃、カイサリアのローマ総督府で収監されていたパウロは、ユダヤの王アグリッパの謁見によって福音を伝える機会を得ました。
いよいよイエス・キリストの十字架の死と復活を語り、聴衆を救いに導こうとした時、総督フェストゥスが「お前は頭がおかしくなっている」と大声で叫んだのです。
聞くに耐えられなかったようです。

しかしパウロは自身の正気を示し、今度はアグリッパ王に迫りました。
彼はユダヤの王であり、旧約聖書を信じているはずであり、ナザレのイエスこそキリストであると理解できるはずだからです。
ところがアグリッパ王は「おまえは、わずかな時間で私をキリスト者にしようとしている」と言って、福音を受け入れなかったのです。
罪はその人の心を盲目にし、自ら呪われる道を選びます。

私たちも同じ罪人として注意が必要です。
救われる以前のパウロは、罪のゆえに盲目的に教会を迫害していましたが、救われてからは主と教会を愛する者となりました。
私たちもどのように教会に関わり、教会を愛し、主を愛しているでしょうか。
罪を悟り、多く赦され、多く愛する者となることを目指しましょう。

ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。 (ルカ7:47)

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