ダビデの父エッサイの心

父の日 礼拝

2024年6月16日(日)礼拝(聖書箇所:Iサムエル16:1〜13)

聖書から:
紀元前1100年頃、初代イスラエル国王サウルの不信仰の故に、神様は彼を退け、預言者サムエルをベツレヘムにお遣わしになりました。
エッサイの息子に油を注ぎ、彼を王とするためでした。
しかしサムエルには、サウル王から命を狙われるおそれがあったため、町にやって来た理由を長老たちに明らかにしないまま、エッサイとその息子たちを招いたのです。

そのときサムエルは、エッサイの息子エリアブの容姿を見て、彼が次期国王だと思います。
しかし主は「人はうわべを見るが、主は心を見る。」と言って彼を退けられました。
こうして、エッサイの7人の息子たちに、サムエルは「主はこの者を選んでおられない」と言ってことごとく退けたのです。

これは父親としては心地の良いことではありません。
しかしエッサイは怒ることなく、忠実に預言者の指示に従い、留守番をしていた末息子、ダビデを呼び出したのです。
おそらくエッサイは、心を人ではなく神様に向けていたのでしょう。
こうしてエッサイは、息子ダビデが預言者によって油を注がれ、神に召されるという祝福を得たのです。
私たちも、自分の心のあり方を吟味することが大切です。

主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」 (Iサムエル16:7)

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