礼拝する信仰の源泉

十字架の傷 礼拝

2025年7月20日(日)礼拝(聖書:ヨハネ20:24〜31)

聖書から:
紀元30年頃、十字架で死なれたイエス様が墓に納められてから三日目の日曜日、弟子たちは、イエス様が蘇られたという知らせを受けて集まっていました。
そこへイエス様が姿を現され、弟子たちに、聖霊を受けるようお命じになったのです。
ところが、弟子のトマスだけはその場にいませんでした。
イエス様が蘇られたという、他の弟子たちの言うことを受け入れられなかったからです。

この目で見、この手で触れなければ信じないと言い張るトマスに、イエス様は翌週の日曜日に再び姿を現され、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言って、トマスにご自身の手と脇腹を示されたのです。
トマスは、イエス様に再会できた喜びと、信じないという罪を犯した自分を見捨てなかったイエス様の哀れみによって、「私の主、私の神」と答えたのでした。

救いを持って私たちに注がれたイエス・キリストの愛と哀れみ。
これが、私たちの礼拝を守る信仰の源泉です。
ヨハネはその恵みのすべてを聖書に書き記すことができなかったと言っています。
主は、今の私たちに聖霊をお注ぎくださって、トマス以上に復活の主の恵みを味わえるようにしてくださっています。
イエス様の手と脇腹に心の目を向けることが大切です。

すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。(マタイ28:9)

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