罪の闇と悔い改めの光

2021年8月22日(日)礼拝(聖書箇所:マタイ27:1-10)

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聖書より:

イエス様を死刑に定めた祭司長たちや民の長老たちは、イエス様の身柄を総督ピラトに引き渡しました。
当時ローマの支配下にあったユダヤでは、犯罪者に刑を執行する自治権が与えられておらず、地域を管轄統治する総督に犯人を引き渡さなければなりませんでした。
イスカリオテ・ユダは、この時に至ってようやく自分の犯した罪を悟り、後悔しました。

しかし、祭司長たちはユダの申し出に取り合いません。
ユダは彼らから受け取った銀貨を神殿に投げ入れ、首をつってしまったのでした。

祭司長たちはユダが投げ入れた銀貨は、血で汚れており、神殿の金庫に納めるべきではないとして、陶器師の畑を買い取り、そこに異国人のための墓地を作りました。
実にそれは、旧約聖書に預言された通りであり、それだけに神様ははるか以前から、人々の罪を見抜いておられ、そのうえでキリストをお使わしになったのでした。
その目的は罪人たちを救うため。
ユダも、後悔するにとどまることなく、悔い改め、救い主なる神に向き直るべきであり、キリストも復活をもって彼を贖い、回復させてくださったはず。
悔い改める信仰にこそ希望があるのです。

主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(IIペテロ3:9)

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