哀れみをこう父親

自然 礼拝

2025年6月15日(日)礼拝(聖書:マルコ9:14〜27)

聖書から:
紀元30年頃、イエス様はペテロとヤコブとヨハネと共に、高い山に登られました。
そこでは、いわゆる「変貌の山」の出来事がありました。
イエス様はその後、ユダヤの外、ピリポ・カイサリア地方の村にいた他の弟子たちのもとに戻っていかれました。

すると、そこでは弟子たちと律法学者、そして群衆たちが何かを論じ合っていました。
イエス様が声をかけられると、一人の父親が、悪霊に取りつかれた息子を助けてほしいと弟子たちに願ったが、できなかったと訴えたのです。
そこでイエス様は、彼らの不信仰に憤りながら、悪霊に取りつかれている彼の息子を呼び寄せられました。
すると父親は、もし、おできになるのでしたら助けてください、と言うのです。
その言葉にイエス様は、「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです」とお答えになったのです。
この御言葉に父親は「信じます。不信仰な私をお助けください」と叫んだのです。
それは彼が自分の不信仰を悟り、悔い改め、心からキリストに求めた瞬間でした。

私たちも同じ罪人として、キリストに対する心からの信頼と期待する心と行動が現れているかどうか、自分を確かめ、心から信じて求める信仰を持つことが大切です。

ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。(ヤコブ1:6)

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