2024年8月18日(日)礼拝(聖書箇所:使徒 28:16〜31)
聖書から:
紀元60年頃、囚人としてローマに連れてこられたパウロは、ある程度の自由が許されていたので、その地にいるユダヤ人たちを集め、弁明しました。
するとユダヤ人たちは、イエス・キリストの福音に対して中立的な立場を持っており、パウロから直接聞いて確かめたいと答えたのです。
そこで、3日後、大勢のユダヤ人たちがパウロ宅を訪ねてきたので、パウロはユダヤ教の教典である旧約聖書の記述から、ナザレ人イエスがキリストであることを述べ伝えたのです。
こうして、キリストの到来を信じて待っているユダヤ人たちに、救いの機会が与えられたのです。
ところがユダヤ人たちは、信じて受け入れた者もいれば信じなかった者もいて、両者が話し合った結果、救いに背を向けて帰ろうとしたのです。
そこでパウロはイザヤ書6章9-10節の御言葉から、彼らにはキリストと救いに対する独善的な罪が働いていることを指摘したのでした。
私たちも彼らと同じ罪人です。
主が来臨された時、果たして正しく主をお迎えできるでしょうか。
この世と調子を合わせるのではなく、心を新たにして神様に向かい、正しく行動できるよう自分を変えて頂きましょう。
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。(ローマ12:2)
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