2024年10月27日(日)礼拝(聖書箇所:ルカ1:8〜20)
聖書から:
紀元前10年頃、祭司ザカリヤはくじによって神殿の聖所で香をたくことになりました。
聖所には祭司1名しか入ることが許されません。
しかも、間違った手順で香をたくと、神様の聖さゆえに災いを招き、滅びてしまうほど厳格かつ忠実な信仰が求められる奉仕の一つでした。
仲間の祈りに支えられつつ、ザカリヤは一人で聖所に入りました。
するとそこへ神様の御使いガブリエルが姿を現し、彼に男の子を授けること、その名をヨハネとすること、その子は人々を悔い改めに導き、キリストの救いを得られる準備をするという、神様のご計画を彼に伝えたのです。
ところがザカリヤは、自分たち夫婦がすでに高齢者であることを理由に、その御言葉を信じなかったのです。
そこで神様は、彼の口を閉ざしてしまわれました。
しかし、彼の妻エリサベツは本当に男の子を産むこととなったのです。
神様のご計画は人の不信仰によって損なわれたりはしなかったのです。
ザカリヤが書き板に「その子の名はヨハネ」と記したところ、彼の口が開けて神様を賛美し、心から神様を礼拝したのでした。
私たちも示された御言葉に対して口を挟むのではなく、黙る信仰を持つことも必要なのです。
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
(ヨハネ1:1)
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