2024年9月15日(日)礼拝(聖書箇所:申命記34:1〜9)
聖書から:
紀元前1600年頃、奴隷状態だったエジプトから脱出したイスラエルの民は、40年間シナイ半島の荒野を放浪し、いよいよ約束の地を目前とする所までやってきました。
モーセはネボ山のピスガという峰に登りました。
そこは約束の地カナンの南から北まで見渡せる場所。
モーセはついに出エジプトのゴールを見たのです。
ところが神様はモーセに、「あなたはそれを見たが、渡っていくことはできない。」と告げられたのです。
モーセの人生終焉の時が来ていたのです。
しかし、モーセは落胆したりせず、世を去るその時まで主に仕え続け、120年の人生を終えて埋葬されました。
ただし、誰も彼の墓の場所を知ることはありませんでした。
モーセがそのようにしたものと考えられます。
30日間の悲しみと喪の期間を終えたとき、民たちはヨシュアをリーダーとして約束の地へ渡って行ったのでした。
モーセは自分の墓のことで民たちを煩わせることなく、民たちを約束の地に導けという神様の御心に従ったのです。
それから1600年後、モーセの姿はイエス様の変貌の山にありました。
彼はキリストの下に置かれたのです。
私たちも主にあって何を世に残すのか、世を去って後、どこへ行くのか確かな目標を持つことが大切です。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。(ヨハネ14:6)
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