主を休ませてはならない

天国 礼拝

2024年11月17日(日)礼拝(聖書箇所:イザヤ62:6〜12)

聖書から:
紀元前740年頃、神様は預言者イザヤを通してエルサレムの住民たちに御言葉をお語りになりました。
これまで民たちは礼拝、捧げ物、奉仕をもって信仰生活を守っていました。
ところが、その民たちの信仰を見た神様は見張りをお立てになり、信仰が休んでいる、主を休ませてはならないとおっしゃるのです。
民たちの信仰に何か欠けていたのです。
それは救い主の到来と救いの完成を目指し続ける信仰でした。

そこで神様は改めて救いと、救われた後の幸いな人生を約束し、希望をくださったのです。
そして救いの完成を目指すために、穴だらけで狭くなった信仰の道を整備し、躓きの石である信仰の妨げを取り除き、人々の前に救いの希望を証できる自分を目指すようお教えくださったのです。

この問題は今の私たちにとっても無関係ではありません。
私たちには再臨の約束があるからです。
それは再び主がこられ、私たちを天に迎え、救いを完成させてくださるというもの。
その希望を目指す信仰がお休みしてはいないでしょうか。
すでにゴールは神様の前に用意されています。
主が今いらしても良いように、求める確かな信仰を構築しましょう。

御霊と花嫁が言う。「来てください。」これを聞く者も「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。(黙示録22:17)

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