キリストを着た者の可能性

詩篇 礼拝

2024年9月1日(日)礼拝(聖書箇所:詩篇120:1〜7)

聖書から:
旧約聖書詩篇「都上りの歌」は、礼拝者たちがエルサレム神殿の石段を、一段上る度に捧げた賛美の歌です。
詩篇120篇は、礼拝者が悩み苦しみの中で神様に叫び求めたところ、神様が答えてくださったことへ感謝を表すとともに、さらなる神様の導きを求め期待する内容となっています。

詩篇の礼拝者も今の私たちも、世にあって様々な人々との関わりの中で生活しています。
すべての人々が信仰を持ち、神様への恐れがあるなら、お互いに平和を持って生活を続けることができます。
しかしこの世は滅びゆく罪の世。
そこに生まれ育った者すべてが不完全な罪人。
私利私欲のためとなれば、不誠実な心と言葉を人に発してしまいます。
礼拝者はそのような人々の悪意に悩まされていたのでした。
ときには平和を望んで語りかけるものの、逆に戦いを挑まれることさえあったようです。
だから詩篇の礼拝者は、導き助けてくださった神様に感謝しつつ、なお神様を求めていたのです。

キリストを着ている私たちも、人々の悪意ではなくキリストに心を向け、その救いの希望を世に証するものとなることが大切です。

ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、(マタイ28:19)

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