パウロの罪と救い

十字架 礼拝

2024年5月26日(日)礼拝(聖書箇所:使徒26:1〜11)

聖書:
紀元57年頃、パウロはローマ総督の保護下で裁判を受けるため、カイサリアに移送されていました。
およそ2年の勾留を経た頃、総督はフェリクスからフェストゥスに交代しました。
するとそこへユダヤの王アグリッパが、新任のフェストゥスに挨拶するためにやってきました。
アグリッパ王がパウロと、ナザレの一派と呼ばれているイエス・キリストの教えに興味を持っていることを知ったフェストゥスは、パウロと謁見する機会を設けたのです。

パウロはアグリッパ王への弁明の中で、かつて自分はユダヤ教パリサイ派に属し、イエス・キリストとその福音に強く反対し、国外にまで聖徒たちを捕らえるために出かけ、彼らの死刑に賛成票を投じていたことを告げています。
もちろん、パウロは罪を犯し、神のみ怒りと裁きに至りたいと願っていたわけではありません。
実に不完全な罪人たる人間は、そのつもりがなくても罪に迎合してしまうのです。

人は神様の憐れみなくしては救いを得ることはできません。
そして十字架に架かられたキリストを心に留めることによって、私たちは罪ではなく聖潔へと向かい、命の道をキリストと共に歩むことができるのです。

しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。 (ローマ6:22)

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