神の業が現れるには

アヒル、池 礼拝

2025年10月19日(日)礼拝(聖書:ヨハネ9:1〜14)

聖書から:
紀元30年頃、イエス様はエルサレム神殿でユダヤ人たちに御言葉をお語りになりました。
しかし、彼らが反発したため、イエス様はそこを立ち去られました。

すると通りすがりに生まれつき目の不自由な人がいました。
弟子たちは、それが誰かの罪の仕業なのかとイエス様に質問したのです。
するとイエス様のお答えは意外なものでした。
彼が盲目となって生まれてきたのは、罪によるのではなく、神の御業が現れるためだとおっしゃったのです。
そして今ここに、見えない目を開かれる神が、盲目の彼の前に来臨され、御業を現す神のご計画が実現する時を迎えたのです。

イエス様は泥を作って彼の目に塗り、シロアムの池で洗うようお命じになりました。
彼はイエス様の御言葉に聞き従い、シロアムの池まで行って目を洗いました。
すると、生まれたときから見えなかった目が、見えるようになったのです。
人々は不思議がって、どうして目が癒されたのか尋ねました。
すると彼は「イエスという人が、目に泥を塗って癒してくれた」と告げたのです。
なんと彼は、イエス様の名前しか知らなかったのです。
神の御業は信仰の深さや強さよりも、聞き従うところに現れるのです。

見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(ヨハネの黙示録3:20)

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