あきらめない

イタリア 礼拝

2024年4月28日(日)礼拝(聖書箇所:使徒25:1〜12)

聖書:
第三次伝道旅行を終え、エルサレムに戻ったパウロは、異邦人を神殿に連れ込んだと勘違いされ、捕えられていました。
しかもユダヤ人たちによる暗殺計画があったため、パウロはカイサリアに移送され、ユダヤ人たちの告訴を受け、ローマ総督フェリクスの法廷に立ちました。
しかし、誰もパウロの罪状を立証できなかったため、裁判は延期となりました。

それから2年、ローマ総督はフェリクスからフェストゥスに交代しました。
そして新任の総督フェストゥスがエルサレムを訪問すると、ユダヤ人たちはパウロをエルサレムに移送し、裁判を受けさせようと願いました。
それはパウロを暗殺するためであり、2年経ってもパウロに対するユダヤ人たちの悪意は消えなかったのです。
一方フェストゥスは、ユダヤ人にカイサリアへ来てパウロを訴えるように提案します。
こうして裁判は2年ぶりに再開したのです。

人々の罪と悪は、止むことなくパウロを襲います。
しかし、神の御心は、自分をローマに遣わすことだと知っているパウロは、諦めませんでした。
そして、パウロはフェストゥスの発言をきっかけに、カエサルに上訴したのです。
こうしてパウロはローマへの道を切り開いたのでした。
御心を覚え、あきらめないことが大切です。 

ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。(エペソ5:17)

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