2024年9月8日(日)礼拝(聖書箇所:Iサムエル1:1〜11)
聖書から:
紀元前1080年頃、エフライムの山地ラマタイム出身のツフ人、エルカナという人に、ペニンナとハンナという二人の妻がいました。
これは、社会的弱者である女性を守るためになされていたことです。
エルカナとペニンナとの間には子どもがいました。
一方、ハンナには、神様がその胎を閉じておられたため、子どもがいませんでした。
そのことでハンナは、毎年ペニンナから意地悪を言われ、食事も喉が通らないほどでした。
彼女は夫から特別に愛されてはいたものの、子どもを授かれていない悲しみと、ペニンナの悪意によって、感謝と賛美を持って神様を礼拝することができませんでした。
しかし彼女は、深い哀しみを抱きつつ神様に向かい、祈ったのです。
彼女には慕い求める心があって、それが彼女を神様に向かわせていたのです。
このとき彼女が捧げた祈りは、男の子を授けてくださること、その子を神様のものとして捧げる請願であり、それは自分を神様のために用いてくださいと願う祈りでした。
この祈りに神様は応え、翌年男の子を授けてくださり、彼女はその子にサムエルと名付けたのでした。
神様のために祈り、自分を用いていただくことも大切な信仰なのです。
それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」(マタイ26:39)
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