主を愛せよ

強い光 礼拝

2024年6月2日(日)礼拝(聖書箇所:使徒26:9〜18)

聖書:
紀元59年頃、カイサリアで囚われの身であったパウロは、ユダヤの王アグリッパの謁見によって福音を伝える機会を得ました。
その語り出しは、パウロ自身のイエス・キリストに対する罪の告白でした。
彼はナザレのイエスに反対し、各地に点在する教会を迫害し続けていました。
それは、パリサイ人として彼が抱いた正義感からでした。
しかし、その正義こそが間違っていたのでした。

そのパウロがダマスコに向かう途中、イエスは姿を現されました。
それは昼間の日の光よりも明るい、天の栄光の中でおきた出来事でした。
ここでパウロは、イエスの復活が事実であり、イエスがキリストであることを悟りました。
それと同時に、自分の罪の現実も悟ったことでしょう。
ここにパウロは、神に裁かれ、滅ぼされても不思議ではない状況にあったのです。
ところがイエス・キリストは、パウロを裁くのではなく、福音宣教の奉仕者として召し、罪と裁きの支配下にある人々の救いのためにお遣わしになったのです。
この大きな哀れみを受けたことにより、パウロはその正義を正され、主を愛し仕えるクリスチャンとなったのです。

同じ救いと哀れみを受けている私たちも、主を愛する者となりましょう。
その信仰が、世の人々の救いに用いられるのです。

どうか 神が私たちをあわれみ 祝福し
御顔を私たちの上に
照り輝かせてくださいますように。(詩篇67:1)

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