神の主権を覚える

2021年1月10日(日)礼拝(聖書箇所:マタイ20:1~16)

【重要】
緊急事態宣言の発令に伴い、リモート礼拝を実施しています。
期間は1月10日(日)〜2月7日(日)を予定しています。
教会には集まらず、内島牧師のFacebookよりライブ配信、または録音をご視聴いただく形での礼拝になります。
皆様のご理解、ご協力お願いいたします。
※感染症対策についてはこちら

聖書より

紀元30年頃、ガリラヤ地方で宣教をなさっていたイエス様は、エルサレムへと向かって移動を始められました。
その折りに立ち寄った町で出会った青年は、財産のゆえにイエス様に従えませんでした。
そこでイエス様はペテロ達弟子に向けて目指すべき信仰姿勢についてお教えになりました。

それはブドウ園の主人が、働く労働者を朝、昼、夕と1デナリの約束で雇用するというたとえ話でした。
世話役が夕方5時に雇われた者に1デナリ支給したのを見て、朝から働いた自分はそれ以上の賃金がもらえると思いました。
ところが受け取った賃金が1デナリだったことに主人に不満をこぼします。
しかし主人は、自分のお金を自分の思うように使って何がいけないのか。わたしは後から来た者にも、同じだけ支払いたいのだと答えたというのです。

実に私たちは、信仰の時の経過の中で、神様の主権を見落としてしまうようです。
そして自分主体の信仰になってしまい、自分の為に奉仕する間違いに陥ってしまうようです。
救われた喜びを神様に捧げ現すこと。
神様こそが自分の命の主権者であることを覚えておきましょう。

主にある敬虔な者たちよ 主をほめ歌え。
主の聖なる御名に感謝せよ。(詩篇30:4)

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