主の捕虜としての信仰

種 礼拝

2026年5月24日(日)礼拝(聖書:エペソ1:7〜16)

聖書から:
紀元前60年頃。
コロサイ教会に異端問題が生じたことを期に、神様はローマで投獄されていたパウロを通して、御言葉をお語りになりました。
その一つがエペソ人への手紙です。
その中で神様は、時にかなって実行に移される、神様のご計画があることを示しておられます。
その教会に異端が入り込むならば、そこに集められている者たちの信仰が振り回され、神様がご計画くださっている祝福にたどり着けなくなります。
そこで神様は、クリスチャンたちを「捕虜」に例えてお教えになっています。
この世の捕虜たちには、彼らを捕らえた勝者たちにとって、役に立つ働きが期待されているものです。
主の捕虜となった私たちには、神様が賜物を授けてくださり、ご計画実現に役立つ働きが出来るようにしてくださっているのです。
そして、授かった賜物を活かし、奉仕の働きをする私たち一人ひとりの信仰を用いることによって、神様はご自身の満ちるところであり、キリストの御体である教会をお立てになるのです。
私たちに必要なことは、十字架の痛みを負い、賜物を与えてご自身の御体に加えてなお愛してくださるイエス様のために、賜物を活かすことなのです。

また、別の種は良い地に落ちた。すると芽生え、育って身を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。(マルコ4:8)

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