2025年4月20日(日)礼拝(聖書箇所:ルカ24:36〜43)
聖書から:
紀元30年頃、イエス様が十字架で死なれてから3日目の日曜日。
弟子たちは迫害を恐れて、戸を閉め切った家に集まっていました。
そして、イエス様がよみがえられたという噂について話し合っていました。
すると突然、イエス様が彼らの間に立たれて「平安があなたがたにあるように」と、声をかけられたのです。
これを見た弟子たちは驚き、幽霊だと思って恐れたのです。
そこでイエス様は、ご自身の手足を見せ、死からよみがえられたことを示されたのです。
すると弟子たちは、今度は喜びのあまり信じられないでいたのです。
死んだ人が生きて帰って来るはずがない。
それが私たちの常識であって、誰もこの絶望から逃れることができないからです。
そもそも私たちが死に至るのは、命を与えてくださった神様に対する罪が原因です。
その罪を、キリストは身代わりとなって十字架で贖い、復活を持って私たちの最大の敵である死を打ち砕かれたのです。
イエス様は、信じられないでいる弟子たちの目の前で食事をとり、ご自身が復活されたことを信じるよう導かれました。
イエス・キリストの十字架の死と復活を信じ告白するとき、私たちは罪の絶望から救われるからです。
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)
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