2025年3月23日(日)礼拝(聖書箇所:創世記19:1〜11)
聖書から:
紀元前2200年頃、二人の御使いはアブラハムと別れ、いよいよソドムの町にやってきました。
それはソドムの罪の状態を確認し、正しい人までもが滅びないようにするためでした。
アブラハムの甥のロトは二人の御使いを見つけ、自宅に宿泊するように勧めました。
それに対し、二人の御使いは「外の広場に泊まろう」と答えました。
しかし、ロトがしきりに勧めたため、二人の御使いはロトの家に立ち寄りました。
やがて二人の御使いが床に入る頃、町中の男たちがロトの家を取り囲み、二人を引き渡すよう迫ったのです。
それは彼らの身勝手な欲望によるものでした。
そこでロトは、人々に悪いことをしないよう求め、二人の娘を身代わりに差し出すと言ったのです。
しかし、それでも人々は御使いたちを奪い取ろうと、ロトに厳しく迫ってきたのです。
すると御使いはロトを家の中に引き込み、欲望に満ちた人々に目潰ししたのでした。
罪の欲望は、人の手によって制圧することは簡単ではありません。
しかしその一方で、自分の正義を諦めなかったロトの信仰は、御使いを動かすこととなったのです。
人間的には無謀な挑戦に思えても、犠牲をいとわず正義を通す信仰は、神様によって困難を越えることとなるのです。
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。(ローマ12:2)
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