2024年12月15日(日)礼拝(聖書箇所:ルカ1:67〜80)
聖書から:
祭司ザカリヤの妻エリサベツは、時が満ちて男の子を産みました。
その男の子こそ、後のバプテスマのヨハネです。
ザカリヤがその幼子に「ヨハネ」と名付けたところ、不信仰の故に閉ざされていた彼の口が開かれ、神様の御言葉を預言したのです。
それは、いまここに神様が、先祖アブラハムに約束されたことを覚え、民の救いのご計画を実行されるとの預言でした。
そして、我が子ヨハネに、キリストが御業をなさるのに先立ち、救いの道を備えるために、罪の赦しによる救いの知識を民たちに与えるよう命じたのです。
罪人たちがキリストの救いを受けるためには、そのための準備が必要なのです。
後にヨハネは、悔い改めのバプテスマを人々に説き、人々の心を救い主へと導きました。
その結果、イエス様が宣教を始められた時、多くの人々が救いを受けるに至りました。
今の私たちもキリストの御身体である教会を形成し、人々をイエス様とその救いへと導く役割を担っています。
私たちのその働きはヨハネとは違い、救いや信仰の体験と証をもって人々を導くのです。
そしてヨハネと同じように今日も主の道を備えているのです。
しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」(マルコ5:19)
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