2024年5月5日(日)礼拝(聖書箇所:使徒25:13〜27)
聖書:
紀元56年頃、ユダヤ人たちの告訴によってパウロの裁判が開かれましたが、判決は延期となりました。
そして紀元59年ごろ、ローマ総督がフェリクスからフェストゥスに交代したことを機に、裁判は再開されました。
その際、フェストゥスは、パウロの無罪を確信したのですが、ユダヤ人たちの好意を得たい下心から、パウロに「エルサレムに行って裁判を受けたいか」と尋ねたのです。
するとパウロは、ローマ皇帝カエサルに上訴したのです。
そのためフェストゥスは、無実のパウロを拘束し続けなければならなくなったのです。
しばらくして、ユダヤの王アグリッパが、新任のフェストゥスに敬意を表すため訪ねてきました。
するとフェストゥスはアグリッパ王に、「パウロを調べたが死に当たる罪が認められなかった。しかし、パウロがカエサルの法廷に上訴し、保護を求めてきた」と、事実とは違う説明をしたのです。
実に、パウロは無罪にも関わらず身柄拘束が続く不条理な状況に置かれていたのです。
一方、アグリッパ王と千人隊長、民の有力者たちは、フェストゥスからパウロの無罪を知ったのでした。
この世の不条理さえ、確かな明日への通過点となるのです。
私たちは主にあって恐れないことが大切なのです。
「…これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16:33)
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